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2007年8月14日 (火)

農業は人類の原罪である

P1010021 今日は久しぶりに朝畑に行きました。

しばらく行ってなかったので、その変貌ぶりに驚きです。

野菜や雑草が育って、緑に覆われていました。写真は涙でかすんでいるわけではありません。が、ボケた写真でも緑に覆われているのが分かります。

特に雑草がすごい!以前はチョコチョコ手で抜いていたのですが、今はとてもそれじゃ間に合わない。

ということで、鎌を使って雑草なで斬り。1時間ほど作業をして結構雑草を「収穫」しましたがそれでもまだまだ残っています。恐るべし雑草。

と、ここまで書いて思い出したことが。

そういえば最近おもしろそうなので読んでみようと思っていた本があったのです。

「農業は人類の原罪である」

という本。

人類が農業を始めたから環境が破壊された。狩猟民族のままであれば、自然から与えられた獲物だけを捕って自然のままに生きていたはず。獲物が捕れなければ死ぬだけである。農業は環境をコントロールして、常に食糧を得られるようにする手段。その結果人口が増え様々な問題が起きるようになった。

というのがだいたいの主旨らしいです。

農業が見直されている昨今、おもしろい説を唱える人がいるものです。ぜひ読んでみたいと思います。

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「ロハスな生活」カテゴリの記事

コメント

私もついつい「雑草」と言ってしまうのですが、”自然循環多毛作農業”を曲りなりに8年間学んだ結果、雑草と言う植物はないということを実感しております。

 私たちのところでは牛を飼っています、すると雑草は雑草でなく、牛の高級飼料になります。
 牛が食べない、食べかすは鯉のえさになります。
 多毛作というのは、同一の土地を例えば、田圃として使い~続いて畑とします~畑のあとには牧草を収穫します。
 その後は休耕田(休耕畑)とし、少なくとも回し使いして、輪作は避けています。

 一つの地が稲だけと言う一毛収穫ではなく、年中使えるということです。

 但し、これは校長の立てた仮説でして、実績証明は十分にはされていません。
 田圃として使った後に畑として活用する時には、水分を含んでおり作業は大変です。
 が、耕運機トラクターを使えばそれほどではありませんが・・・

 また、田圃、そして畑と違った使い方をすることによって、田の水の草は畑にすることによって抑えることができ、畑は水を引くことによって陸の草の種を押さえることが出来るはずと言う仮説もまだ十分には証明されていません。

 以上、あくまでも仮説の域は出ていませんが、取り組んできました。

 今年で9年目に入りましたが、まだ現役で働いている方がほとんどで、日々の生活、仕事の方が厳しくなり、年毎に参加者が減って耕作面積が減ってきました。

 団塊の方々の受け皿としても期待していたのですが、山間村農業の問題と同様な状況になってきました。

 何かのヒントになればと送信します。

加藤様

こんにちは。コメントありがとうございます。
雑草は、わたしがそう思っているから雑草なのですね。
見方、使い方によってはただの「邪魔もの」がとても役立つものに変わる。
世の中ムダなものはなくて、多方面からものごとを見ない、考えないことがムダを生んでいるのでしょうか。
「活かしきる」ことが大切ですね。

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